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2009年03月20日

藤原紀香さんと浮気

藤原紀香さん、陣内智則さんに「大阪に来るな」と言われたそうで、「結婚は向いていない。オレは独身が向いている」とまで言われたという。


陣内智則さん女癖の悪さはよく知られてるそうで、

治ることのない病気だと思います。

自分では止められないんでしょうし、

芸人仲間に乗せられたんでしょう。

英雄色を好むといいますから・・・・・



紀香離婚へ…陣内の浮気で我慢限界に
3月20日9時30分配信 デイリースポーツ

 人気女優の藤原紀香(37)とお笑いタレントの陣内智則(35)が近日中に離婚届を提出、2年間の結婚生活に終止符を打つことが19日、分かった。離婚原因は、陣内の懲りない浮気だという。結婚後も合コンを繰り返し、結婚前に交際をウワサされた女性タレントとは結婚後も交際が続いていた。何度も浮気に気づきながらも「彼を愛している」と夫婦関係の修復に努めた紀香。しかし、心の傷も亀裂も、ついに埋まらなかった。
  ◇  ◇
 芸能界の話題をさらったカップルが破局を迎えた。紀香の所属事務所が明らかにした。事務所では離婚原因について「2人の間のことなので分からない」としている。
 兵庫県西宮市の実家で取材に応じた紀香の母・貞子さん(61)によると、紀香は初ミュージカル「ドロウジー・シャペロン」が地元大阪で千秋楽を迎えた翌日の今月1日、実家に戻り「ママ、ごめん、もう無理…」と涙ながらに伝えたという。
 その後、両家を交えて修復に向けての話し合いが持たれたが、亀裂は元に戻ることはなかった。
 美人女優と芸人、収入格差、東京が拠点の紀香と大阪の陣内…。交際のきっかけとなったドラマそのままの“格差婚”カップルのスピード破局。離婚原因は“格差婚”でも“すれ違い生活”でもなく、夫の度重なる浮気だった。
 貞子さんによると、紀香が陣内の浮気を家族に初めて打ち明けたのは昨年8月。2人そろって実家を訪れるなど、仲良く暮らしていると思っていた貞子さんは驚かずにいられなかった。
 紀香は貞子さんに「一からやり直したい。彼を愛している」と家族を説得するように話し、何とか夫婦関係を修復しようと、必死で努力していたという。
 陣内はまた、昨年4月、紀香に「大阪に来るな」と“命令”し、同5月には「結婚は向いていない。オレは独身が向いている」とまで言い放ったという。
 実は陣内の“女癖”は結婚前から一部で心配されていた。
 結婚後も大阪での仕事が大半を占めた陣内は、東京にいる妻・紀香に「仕事」という大義名分で、結婚後も大阪のホテルに泊まることができた。
 芸能関係者によると、大阪の芸人仲間が陣内好みの女性を“調達”し、頻繁に合コン。貞子さんらによると、紀香は結婚1年目から“浮気”には気づいていたという。しかし「皆さんに祝福していただいた結婚。彼を愛しているし、何とか頑張りたい」とじっと耐えてきた。
 しかし、昨年8月、離婚を決意する決定打となる事件が起こった。関係者によると、陣内が“過去の女”とまだ続いていることを紀香が知ってしまったという。年明けには事実上の別居状態となった。
 紀香は約1週間後、赤十字広報特使として滞在するケニアから帰国する。
参照記事http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090320-00000001-dal-ent




Wikipedia より

藤原紀香

藤原 紀香(ふじわら のりか、本名は陣内 紀香、1971年6月28日 - )は、日本の女優、モデル。ミス日本グランプリ受賞者。所属事務所はサムデイ。


年譜
1971年兵庫県にて誕生、物心ついた頃に兵庫県西宮市[1]に一家で越す。
1989年高校生の時に毎年毎日放送が募集していた第70回 センバツ高校野球の「セブンティーンレポーター」の一人に選ばれる。
1990年親和女子高等学校→神戸親和女子大学文学部英米文学科に進学。
1992年神戸親和女子大学在学中に、第24回ミス日本に応募しグランプリを受賞。
1993年東レ水着キャンペーンガール。関西ローカル番組『ナイトinナイト』の枠内で放送された『クイズ!紳助くん』の初代アシスタントに。1997年12月までの長期出演。
1994年アサヒビールイメージガールとして活躍。
1995年阪神・淡路大震災で被災し、「人生、いつ終わるかわからないから」と達観して上京。
1997年映画『CAT'S EYE』で、泥棒三姉妹の長女の泪(るい)役を演じる。
1998年フジテレビ系テレビドラマ『ハッピーマニア』に出演。
2000年香港映画『SPY_N』に出演。CMにも数多く出演し「CMの女王」と言われた(CM総合研究所のCMタレント年度別好感度ランキングで1999年と2000年に一位を記録)。特に、J-PHONE(現ソフトバンクモバイル)のCMは衝撃的で、世間の話題を呼んだ。J-PHONEは藤原紀香のCMの効果で、大きくシェアを伸ばした。
2002年 日韓親善大使。「スタアの恋」でヒカル子役を演じ、テレビ誌の主演女優賞を獲得。
2004年 3年契約で自身がプロデュースするブランド「NEW YORK DIARY」を立ち上げた。
2006年12月26日、お笑い芸人の陣内智則と2人そろって婚約会見を行った[2]。
2007年2月17日、生田神社で陣内智則と挙式(挙式の様子は非公開)[3]。
2007年5月30日、ホテルオークラ神戸で披露宴を行った。
2009年3月19日、夫の陣内智則とすでに別居中で離婚秒読みだとスポーツ3紙が一面で報じた。


国際活動や人道支援への協力
2002年には、韓国の女優キム・ユンジンとともに日韓国民交流年の際、サッカー・ワールドカップ日韓共催大会の親善大使に起用され、両国の交流に貢献し、青瓦台にも訪問。
内乱後のアフガニスタンに赴き、戦災についてのテレビレポートを行ったほか、元々は趣味から身につけた写真技術を駆使して現地での取材を行い、2004年から2005年にはJICA(独立行政法人 国際協力機構)の『ピース・トーク・マラソン』に賛同して、写真展を日本各地で行い、人道支援の寄付募集などのチャリティー活動に努めている。
2006年には、国連スタッフと共に独立運動の混乱の最中であった東ティモールへ向かって写真取材を敢行し、当時のラモスホルタ外相の家にも招かれた。後にニューヨーク市内で国家支援を訴える写真展を開催し、その開会式においてスピーチを行った。アナン事務総長にも面会。
2007年日本赤十字社の広報特使になり、2008年1月バングラデシュに赴き、ハリケーン被害を受けた村を取材。
U2のボノとも親交があり、ボノが来日すると連絡を受け、現在のアフリカや国際貢献に関しての話をする(ボノ作成のサミットへのメッセージビデオにも出演している)。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090320-00000001-dal-ent


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Posted by フワリ at 13:34 │離婚
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