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2009年08月23日

鳥居みゆき 薬物

鳥居みゆき 覚せい剤「やってませ~ん」


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鳥居みゆきと薬物?


鳥居みゆき、芸人としてみると、


全然面白くないとおもいます、


挙動不審者としか見えませんしね。


鳥居みゆき姉は、


ロンハーに妹みゆきの仕掛け人で出てましたね、


綺麗な人でしたよ。


不思議な・・・・美人姉妹です。




8月23日9時29分配信 デイリースポーツ


 初の書き下ろし短編小説「夜にはずっと深い夜を」の発売記念イベントを行った鳥居みゆき

 お笑い芸人・鳥居みゆき(28)が22日、都内で初の書き下ろし短編小説「夜にはずっと深い夜を」の発売記念イベントを行った。会見では、所属事務所の先輩・酒井法子容疑者(38)について質問されると「私は(覚せい剤を)やってませーん」と宣言。普段から挙動不審なだけに、自ら「一番怪しいって言われるけど」と付け加え爆笑を誘った。さらに小説についても「去年の夏から夫に勧められて数回書きました…」と、酒井容疑者の供述を引き合いに出してプッシュ。先輩を気遣う様子など一切なく生き生きと毒を吐きまくっていた。
参照記事http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090823-00000005-dal-ent



Wikipedia より


鳥居みゆき

鳥居 みゆき(とりい みゆき、旧姓:鳥居 美由貴[1]、1981年3月18日 - )は、秋田県出身(埼玉県育ち)のピン芸人。S&D Studioに所属後、業務提携先のサンミュージック企画へ移籍。血液型はO型。


来歴
家族構成は父、母[2]、姉一人である。姉は「ロンドンハーツ」に妹みゆきの仕掛け人で出演した事がある[3]。

中学校では卓球部に所属していたが、ラリーが出来ない為得点係となる。だが点数ではなくセットカウントをめくってしまうのですぐに時計係に回される。試合経験はなく倉庫で壁打ちの日々であったと言う。[4]

中学時代、昭和のいるこいるをライブで見て「お笑いって何をやってもいいんだ。」とお笑いに目覚める。芸人になれば変な行動をしても大丈夫(まともに見える)なのではと思うようになる。

他に中学時代には姉と一緒に読者モデルを始めるようになる。

高校ではワープロ部に所属していたが、部員3人で2人は後輩だったのに部長ではなかった。早打ち自慢の言葉は「江東区木場」。今もワープロ愛用者らしいがインクリボンがないため印刷はしない[4]。

高校3年生当時まで友達が一人もおらず、友達を作りたくてお笑いを始めるが逆に人が遠ざかっていったという[5]。そのような中でも色々話したいことや表現したいことを書き溜め、そのうちにそれを発表するために舞台に出たいと思い、卒業後、18歳の時にラブ守永に誘われ『松みのるお笑い塾』[6]というお笑い養成所に入る。約1年間通い、その養成所時代にライブに初出演する[7]。その養成所の講師から「ダメ出ししようがない」と言われたことがある[4]。

その後、姉の伝手で最初の事務所(S&D Studio)に所属する。基本的に俳優・モデル系事務所の為、当時お笑い部門は鳥居みゆき一人だったという。

2001年頃に、アコムのイメージキャラクターオーディションの最終選考まで残るが落選。(面接で「これに落ちたら本当におたくのお世話になる事になります。」と言ったのが落選理由ではないかと語っている。)このことはネタ「妄想結婚式」にも取り入れられたり未だに話題にする事もある。(この時選ばれたのは小野真弓)。

2002年にラブ守永とコントユニット『ラモンズスクイット』を結成するが鳥居の作るネタに守永が付いて行けず短命に終わる[8]。1月 - 7月頃まで活動。別にパンクバンドの『ラモーンズ』が好きで名づけたわけではないとのこと

2005年に「ギャグラ!」を発売するが現在の鳥居にとっては黒歴史らしくこの事に触れられると相当嫌がる。

2007年春頃、年上の会社員と結婚。既婚者であることは、2008年4月に本人の口から突然発表された[9]。この時まで、所属事務所のサンミュージックを含め関係者も一切知らされていなかった。

2007年、GyaOのカンニング竹山が出演するカンニングの恋愛中毒へ出演する。その動画がたちまち2ちゃんねる等ネット上で話題になり、ブレイクのきっかけとなった。その後も過去、現在の様々な動画がネット上で公開されている。

2008年2月、ピン芸人の頂点を決める大会、『R-1ぐらんぷり2008』(参加人数2731人)にて、有力候補者たちの予選敗退が続出した混戦を潜り抜け、自身初の決勝戦進出を果たし、451点で8人中6位となった。その際に、審査員のダンカンから「これからどう進化していくのか非常に楽しみ」と、希望を持った評価を受けた。翌2009年にも決勝に進出し8位となる。

2009年4月、『ザ・イロモネア』の企画「ピンモネア」で史上初となる100万円獲得を達成。


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Posted by フワリ at 19:07 │お笑い
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