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2009年04月08日

志村けん 箕輪はるかの肺結核で

収録見学者などから苦情もなく、番組スタッフの発病も確認されていない。だが、長い潜伏期間と初期の自覚症状がないため、引き続き、保健所の指示を仰ぐことになるとか。

箕輪はるかさん、いかにも抵抗力や免疫力無さそうですから。

気になるのは、箕輪はるかさんの感染もとですよね、

明らかに?もう一人肺結核感染者がいるのでは、

心配しすぎ・・・??

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志村けんら共演者続々検査…ハリセンはるか肺結核で
4月8日8時0分配信 スポーツ報知

 お笑いコンビ「ハリセンボン」の箕輪はるか(29)の肺結核発表を受け7日、タレントの志村けん(59)らが都内の病院で検査を受けた。

 志村は箕輪とフジテレビ系「志村屋です。」(水曜・深夜1時8分)で共演中。同じく共演の小林恵美(26)と一緒に受診し、問題ないと診断された。血液検査の結果は後日明かされる。8日には同様に「ダチョウ倶楽部」の3人も受診する予定。

 また、箕輪が所属する吉本興業によると、電話相談室を急きょ設置した6日には問い合わせが22件、新宿の「ルミネtheよしもと」に10件寄せられた。東京都福祉保健局には6日に157件、この日も午前9時から午後8時の間に520件の相談が殺到した。関係者によると現在、5本の電話で対応し「朝から鳴りっぱなしの状態」が続いているという。

 東京・新宿の同事務所で吉本興業の大崎洋社長(55)は慎重に「粛々とやっているので、今の段階ではコメントを出せない」。テレビ各局には現在まで収録見学者などから苦情もなく、番組スタッフの発病も確認されていない。だが、長い潜伏期間と初期の自覚症状がないため、引き続き、保健所の指示を仰ぐことになる。
参照記事http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090407-00000263-sph-ent




Wikipedia より

志村けん

志村 けん(しむら けん、本名:志村 康徳(しむら やすのり)、1950年2月20日 - )は、日本のお笑いタレント、司会者。イザワオフィス所属。身長:166cm。血液型:A型。

付き人からドリフ入り

志村憲司・和子の三男として東京都北多摩郡東村山町(現在の東村山市)に生まれ、厳格な家庭に育つ。本名の「康徳」は、父親が徳川家康を崇敬していたことにちなみ、頭の「徳」と尻の「康」をとり、逆さにした[2]。芸名の「けん」は父親の名に由来する。

小学校時代、運動会で脱糞した事があった。東村山第二中学校時代は文化祭でよくコントをしていたといい、所ジョージ(埼玉県所沢市出身)の遠戚とバンドを組んだこともあった。東京都立久留米高等学校に進学するが、卒業間際にドリフの付き人になった際、いかりや長介に強引に東北巡業に付き合わされ、出席日数が足りなくなってしまい中退(本人の証言であるが、様々なプロフィールでは卒業となっている。一説によれば、遅れて卒業したという)。2007年3月のブログでは、高校3年当時2月に付き人になり、3月の卒業式には参加したことを述べている[3]。

はじめは由利徹の弟子になろうとした。ついでコント55号かドリフのどちらに弟子入りするか迷ったが、音楽性の面からドリフを選び、1968年にいかりやの家まで押しかけ、玄関前で12時間正座した末に弟子入りし、ドリフの付き人となる。当時のドリフは積極的に音楽活動を行っていたため、仲間内では「付き人」ではなく「バンドボーイ」(通称ボーヤ)と呼ばれていた。

加藤茶の付き人となる[4]が、1年余りで一度脱走(本人の著書では、社会勉強をするため他の付き人に伝言して辞めたというが、いかりやの許可をもらったわけではないため、脱走扱いとなる)。『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)の「BISTRO SMAP」に出演した際にはこの時のことを、いかりやの家に行き「1年間だけ時間をください。1年経ったら戻ってきます」と言ったが、当時夫婦喧嘩の最中だったいかりやからは「うるせぇこの野郎」と無視された、と述べている。戻ってくる時はいかりやの家に行きにくかったので、加藤の家に行って頼み、加藤が個人的にいかりやに口添えし出戻り、幸い破門は免れた。その後しばらく加藤の付き人兼加藤家居候となる。無名の付き人だった志村は、運転免許を持っていないため、当時国民的人気者の加藤が運転する車の助手席にふんぞりかえったまま加藤の家に帰り、加藤を差し置いて加藤の母親に晩御飯を用意してもらい、加藤より先に風呂に入るという大物ぶりを発揮していた。

1972年、お笑いコンビ・マックボンボンを結成し、テレビ番組『ぎんぎら!ボンボン!』に出演するも、失敗に終わった(この頃の芸名は「志村健」の表記が多かった。なお「志村健」の芸名は、現在台湾で使用されている)。しかし荒井注の脱退により、見習い期間を経て、1974年に正式にドリフのメンバーとなる。なお、この時リーダーのいかりやは、荒井やいかりやと同年代の新メンバーの加入を検討していたが、加藤の推薦により若手の志村が起用された。




ハリセン

ハリセンボンは、吉本興業東京本社(東京吉本、厳密には子会社のよしもとクリエイティブ・エージェンシー)所属の女性お笑いコンビ。東京NSC9期生。2004年結成。略称「ハリセン」。

実年齢とはかけ離れているおばちゃん顔が特徴。


メンバー

箕輪はるか(みのわ はるか、1980年1月1日 - )東京都北区出身。身長160cm、体重52kg、星座やぎ座。ボケ担当。早稲田大学第二文学部卒。肌年齢32歳。現在、肺結核で入院中。2カ月以上休業


箕輪 はるか(みのわ はるか、1980年1月1日 - )は日本の女性お笑い芸人。お笑いコンビ「ハリセンボン」のボケ担当。相方は近藤春菜。東京都北区出身。身長160cm、体重50kg。星座は山羊座。血液型はA型。

東京都立保谷高等学校を経て、早稲田大学第二文学部卒業。

以前は生年月日が1980年9月27日であった。

2009年4月6日に、所属事務所から肺結核のため入院中で2ヶ月休養することが発表された[1]。肺結核が空気感染する病気であることから、箕輪が咳を続けてするようになった2008年12月1日~2009年4月3日に、共演したテレビ・芸能界関係者のほか、吉本興業グループの劇場、その他のライブ会場、テレビ番組収録スタジオなどの観覧者らに感染したおそれがあるとして、東京都や保健所は接触者の追跡調査や健康診断を行っているとともに、電話での相談を受けている


人物

いわゆる高学歴芸人の一人。ちなみに2006年8月23日放送の『ワンナイR&R』にて、奨学金と自分で稼いだアルバイト代のみで卒業したことが明らかになった。
高校時代、バドミントンで都大会ベスト16になったことがある。(都立保谷高校出身)
趣味はサッカーとけん玉とミニカー(トミカ)集め、重機雑誌や漫画の読書で、漫画を買う為に古本屋2~3軒を巡る事がある。
けん玉1級、図書館司書の資格を持つ。
あだ名は死神。歯が特徴で、出っ歯に加え前歯のうち1本の神経が死んでいて黒ずんでいる(小学生の頃に道に転がってた鉄パイプに乗って転がして遊んでたら、顔面から転んで前歯の神経が死んだとのこと)。ただ、別に検査したわけでもなく、自分でそう思っているだけなので、本当にそうなのかは不明。その影響からか出っ歯の部分だけが似ている人物はの井上ひさしや次長課長の河本準一にも似ているとされる。
大学時代は友達は少なかった。


入国審査トラブル

番組の企画でアメリカに行った時、春菜やスタッフは通過できたがはるかが入国審査に引っかかり、取り調べを受けた。空港側には「日本人に見えない」「職業は何だ」と疑われていた。
春菜が近づいてみると、空港側が「Are you Mexican?(あなたはメキシコ人ですか?)」とはるかに聞いていた。はるかはそれに対し「私は日本人です」と言うつもりで「I'm Japan!(=私は日本だ!)」と言ってしまった。さらに職業を聞かれ「Picture (写真です)」(これは本人曰く「人に見られる仕事だということを言いたかった」)。しかし当然のごとく理解されず、それどころか取調室へ連行されてしまった。
取調室では日本語を少し話せる女性職員が出てきて「本当の事言わないとあなた二度と日本に帰れないよ!」と空港中に響き渡るほどの声で凄まれたという。さらに、女性職員がいたにも拘らず男性職員がはるかをボディチェックし始め、日本人女性であるのに(検査終了後も)メキシコ人男性と思われていたことが発覚。あげくの果てに「お前はもっと女らしい格好をしろ」と逆ギレ気味に説教まで受けたという。本人は「もう二度とアメリカに行きたくない」と言っていた。
『ダウンタウンDX』や『ライオンのごきげんよう』などで、このことについて語っていた。『ごきげんよう』では1月の月間MVPに選ばれている。


近藤春菜(こんどう はるな、1983年2月23日 - )東京都葛飾区出身。身長155cm、体重75kg、星座うお座。ツッコミ担当。桐朋学園芸術短期大学卒。肌年齢20歳。




小林恵美

小林 恵美(こばやし えみ、1983年1月1日 - )は、日本のグラビアアイドル、女性タレントである。学位は学士(経営学)(青山学院大学)。

人物

血液型B型。バストFカップの美巨乳の持ち主。好みの男性のタイプは変な人で、一重瞼の人。

本は漫画・小説・問わず読んでいる。カルト的な物も好む。しかし、歌を歌うのが苦手で、音痴を克服する企画に参加した事が有る。


家族

母方の曾祖母は日本でロシア正教の宣教活動を行っていたロシア人であるが、小林はそのことを10代になるまで知らなかった[1]。母もロシア正教徒であり、母方の祖父の葬儀もニコライ堂で執り行うなど、母方の一家は敬虔なロシア正教徒であるが、小林自身はロシア正教徒ではない[1]。しかし、自らのルーツを知ったことからロシアへの興味は持っており、2007年度のNHK教育テレビ『ロシア語会話』の生徒となる。

また、父の姉は青木廣彰と結婚していたことがあるため、青木は伯父にあたる




ダチョウ倶楽部

ダチョウ倶楽部(ダチョウくらぶ)は、日本のお笑いトリオ。所属事務所は太田プロダクション。

出川哲朗らと並んで、俗に言う「リアクション芸人」の代表格である。「ヤー!!」、「ムッシュムラムラ」など同じ言葉を連呼するギャグ、ものまねなどを得意とする。


メンバー

肥後克広 ツッコミ(昔はボケ)担当、現リーダー

肥後 克広(ひご かつひろ、1963年3月15日 - )は日本のお笑いトリオ・ダチョウ倶楽部のリーダー、ツッコミ(昔はボケ)。沖縄県那覇市出身。血液型はAB型。星座はうお座。愛称は「肥後ちゃん」。志村けんからは「かっちゃん」とも呼ばれる。所属事務所は太田プロダクション。沖縄県立那覇工業高等学校卒業。

寺門ジモン 小ボケ担当

寺門ジモン(てらかど じもん、1962年11月25日 - )は、日本のお笑いタレント・俳優。ダチョウ倶楽部のボケ担当。所属事務所は太田プロダクション。中野区立第九中学校・東京都立鷺宮高等学校卒業。兵庫県川西市出身。本名は寺門義人(てらかど よしと)。血液型A型。射手座。身長169cm 体重65kg 頭廻り 57cm サイズ B107 W87 H99 F25.5

上島竜兵 大ボケ(昔はツッコミ)担当。

上島 竜兵 (うえしま りゅうへい 、本名:上島 龍平(読みは同じ)、1961年1月20日 -)は、ダチョウ倶楽部に属するタレント、リアクション芸人、大ボケ(昔はツッコミ)。兵庫県丹波市春日町生まれ、神戸市垂水区、神戸市北区育ち。神戸市立鈴蘭台中学校、神戸村野工業高等学校卒。血液型はAB型。星座はやぎ座。身長162㎝。所属事務所は太田プロダクション。

通称「竜ちゃん」(先輩芸人が使用するが、ダウンタウンなど後輩でも自分より“格”が上の芸人が使用している)または「竜さん」(若手芸人などが使う)。

妻はタレントの広川ひかる。

ダチョウ倶楽部の中で、最も体を張っているいじられキャラで有名。怒って帽子をたたきつけるリアクション(その後「取り乱しました」と収めることも多い)を持ちネタの一つとする。


元メンバー
南部寅太(なんぶ とらた、現・南部虎弾) - ボケ(電撃ネットワークでは、ボケ・ツッコミはない。)担当、初代リーダー




肺結核

結核(けっかく)とは、マイコバクテリウム属の細菌、主に結核菌 Mycobacterium tuberculosis により引き起こされる感染症[1].。結核菌は1882年に細菌学者ロベルト・コッホによって発見された。日本では、明治初期まで肺結核は労咳(癆?、ろうがい)と呼ばれていた。


概要

空気感染が多く肺などの呼吸器官においての発症が目立つが、中枢神経(髄膜炎)、リンパ組織、血流(粟粒結核)、泌尿生殖器、骨、関節などにも感染し、発症する器官も全身に及ぶ。結核菌は様々な器官において細胞内寄生を行い、免疫システムはこれを宿主細胞もろともに攻撃するため、広範に組織が破壊され、放置すれば重篤な症状を起こして高い頻度で死に至る。肺結核における激しい肺出血とそれによる喀血、またそれによって起こる窒息死がこうした病態を象徴している。

感染者の、大部分は症状が出る事は少なく、無症候性、潜伏感染が一般的である。潜伏感染の約10分の1が最終的に症状が発生し、治療を行わない場合感染者の半分が死亡する。

2004年には、死亡率および罹患率は慢性活動性の患者が1460万人、890万人の患者が発症し、160万人が死亡した。その大部分は発展途上国である[2] が、先進国においても、免疫抑制剤を使用している患者やエイズの患者、薬物乱用などにより増大傾向にある。

結核患者の分布は一定ではなく、多くのアジアやアフリカの国では約80%の人が結核の検査で陽性を示すが、一方アメリカ合衆国では5~10%が陽性であるのみである。[1]

アメリカで毎年二万五千人が新たに発生し、その40%が結核の流行地域からの移民であると推定されている。[1]

かつては日本では国民病・亡国病とまで言われる程の侵淫を見た。第二次世界大戦後、抗生物質を用いた化学療法の普及などによって激減したが、他の先進工業国に比べて感染率と死亡率は高い状態である。2001年5月に20名の集団感染が発生した大学で診断を実施した教授が「関心の低下も一因」と指摘する[3]など、結核の危険性に対する日本国民の関心低下が指摘[4]されており、今日では逆に「結核は過去の病気ではない」というスローガンで注意の喚起が叫ばれている。

予防策として日本ではBCGが行われているが、アメリカでは行われていない。フランスなどのヨーロッパ諸国では継続して行われている国も、中止に到った国もある。BCGを行うことのメリットは、小児の結核性髄膜炎と粟粒結核の頻度を有意に減少させることにある(有効性 80%)。しかし、成人の結核症を減少させるという根拠はない(有効性 50%)。いっぽうデメリットとしては、ツベルクリン反応を陽性化させてしまうため結核の診断が遅れることにある。結核菌の頻度が低い地域ではBCGを行うデメリットが大きいと思われる。BCGを中止したスウェーデン、旧東ドイツ、チェコスロバキア等では、中止後小児結核が増加した。結核菌の頻度が高い(特に家族間感染が多い)日本などの地域では今後もBCGは行われていくと思われる。

なお、日本ではまずツベルクリン反応検査を行い、陰性反応が出た者のみにBCG接種を行う形だったが、2005年4月1日より結核予防法の改定により、ツベルクリン反応検査を行わずに全員にBCG接種を行う形になった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090407-00000263-sph-ent


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